口から入れる食べ物は第5チャクラを通り、口から出す言葉も第5チャクラを通る。
この二つの質が人生の質になって自分の外界を形成していくのです。

『共鳴磁場』2024年1・2月合併号
食と心のデザイナー、暮らしの冒険家
大谷ゆみこ

 

 玄米食や発酵食など様々な健康食がありますが、その多くが成果を上げているとは言い難い現実があります。かえって体を壊す人も後を断ちません。
「何かしないと身体が壊れてしまうかもしれない」という恐れからの我慢する食事だからです。
 自分の身体を信頼してないし、現実も信頼していない。つまり、世界を信頼していないのです。だから続かないので、罪悪感や自己嫌悪に陥ったり、どんどん不安と恐れが膨らんで、健康になるどころか心まで病んでしまうのです。

生きる意味と目的を探し続けた毎日

 私は、料理の先生になりたいと思った訳でも、雑穀愛好家でも、自然食を目指していた訳でもありません。誰もが一度は自分に問いかけたことがあると思いますが、「何故生きているのか、何故ここにいるのか?」という感覚。私がいなくなっても世界は続く。死という自分の消滅がゴールという人生って一体何なのって思ったことはありませんか? おそらく全員が考えたことがあると思うのです。けれども(今世では)経験したことはないからよく分からない。

 自分の消滅がゴールの人生って、それは何のためであって、どう生きることが良いことなのか…。
 そうですよね、目的も分からず何故ここにいるのか? 何の基準も無いのです。突然ポンと気がついたらゲーム版の上にいる。突然どこからか弾が飛んでくる。何のゲームをしてるかも分からない。けれどもお腹は減るしトイレにも行きたくなる。あらゆる人が突然ハッと目覚めるような感じです。

 そういう感じでポンと生まれてきて右も左も分からない。とても変だけど、どうしていいかも分からない。何とか知りたいと思って探し続けて、誰か教えてという思いがずっとあったのです。
 幼少期は食べ物に好き嫌いが多く、そのせいか身体はあまり丈夫ではありませんでした。未熟児で生まれて熱もよく出して、病気ではないけれど身体が弱い。

 私が育った頃の社会的風潮は、ご飯、味噌汁、漬け物は古くて駄目なんだ、もっと栄養の高いものを食べよう、肉や乳製品に栄養があるという空気があり、どんどんと生活が変わっていきました。30歳になるまではそのような生活に何も疑問を持たずにいたのですが、冷え性、低血圧、低体温、そのうえ七転八倒の生理痛に悩まされる、では痛み止めを飲みなさいという感じで、いつもどこか調子が悪い。

 性格的にもすごく臆病で暗がりが嫌い、人とどう接していいか分からない。虚弱だけど普通に子供でいる自分と、存在への問いに悩む自分というのが常にパラレルで存在していました。この先どうしたらいいのかと考え続けたときに「この世界を理解したければ観察しかない」と思ったのです。

 それで、よく観察してるうちに分かったことがありました。
 一つは、人はいつかは必ず死ぬらしいということ。寿命も人によってすごく短かったりする。
 その頃は、まだ病気は突然襲ってくる不幸な出来事と思っていたので、限られた不確かな時間の人生を自分は生きているということです。

 二つ目は、この不平等社会の中で、何かちっぽけな存在として生まれた私にとって、絶対に揺るがない価値って何だろうと考えたときに「時間だ」って思ったんです。
 その使い方、生きてる時間をどう使うかが誰にとっても平等なのです。どんなにお金持ちになっても寿命がある。寝たきりになったらお金も使えないし自由に食事も出来ない。結局「命と時間」
 それで、「健康な命」と「密度の濃い時間」を楽しむということにしようと決めたのです。

世界を理解するために観察して分かったこと

 観察と調査、それと歴史。日本や世界の人たちは一体どうやって生きてきたのか。何しろ生命時間は貴重です。お互い死んでしまうような儚い命を持ってるのに、何で喧嘩したり批判したりして仲良く楽しく生きられないのかなと。 また、お金があまりにも全てを支配していて、多くの人が心を奪われている、経済奴隷制社会だなということが何となく子供心でも気がついて、お金に縛られるのは嫌だけどお金がないと人に頭を下げなくてはいけないので、それは嫌ですが自由に生きるためにはお金は必要だと知ったのです。

 そして重要なのが時間。この二つを大事にして生きるにはどうしたらいいか、ということだけをひたすら考え続けていました。
 大学卒業後、デザイン会社に就職しデザイン部に入ってヒット商品を多く手掛けました。それで「デザインはお金になるんだな」という実感を得ました。

 ですが、勤めていると当然給料は決まっているし、電車に乗って千葉から東京に通って…この人生が続くのは嫌だと思い、デザインで自立しようと決心して起業しました。「半日働いて普通の人の倍稼いで、残りの時間でこの世界は何であるのかを探求しよう」それが、26、27歳くらいでした。 

 当時、女性の意見をもっと取り入れようという社会の追い風もあり、女性だけの企画集団なので会社は成長しました。
 その頃は100万長者が最高の言葉だったので、月収は100万円と決めました。すると不思議とそうなったのです。ですが、全然豊かではないのです。東京で事務所を借りて自分の部屋も借りて、月収100万円取ったら税金もすごいし豊かじゃない。お金って稼ぐのは大変だけど使い出が全然無いんだなと感じました。私は、宝石やブランド品などに興味がなく、欲しいものは「知りたい」ということ。社会では莫大なお金が動いてるのに、自分は何十万円のためにあくせく働くのが気に入らない。それで、仕事は半日して絶対に残業もしない、接待もしない営業もしない、ただ仕事をすると。

 残った時間で、仲間たちと「生きるってどういうことか」「私達って本当に友達なのかな」など、研究をし続けたのです。
 やがて「肩書きとお金を捨てて友達になる会を作ろう」と、お金から自由になるためにお互いが持ってる何か楽しいことや経験を提供し合うみたいな関係でやろうという「楽しく遊ぼう会」を作り、楽しく過ごしていました。

雑穀との運命の出会い

 たまたま雑誌で見つけた、有機野菜がありレストランがある荻窪のホビット村。私たちの全然知らない世界だよね、行ってみようと出掛け、そこで初めて玄米食というのを知りました。私は、それなりに食通だと思っていたのですが、知らないご飯があった。それが結構、美味しかったのです。

 また、身体を操る操体法講座というのがありました。それで行き始めたら、身体は自分で治る力を持ってるとか色々と教えてくれて、身体の治し方の他にも食事の重要性、食べ方、呼吸の仕方。それから行動の仕方、思い方、そして環境。これらが壊れると人間も壊れると教わりました。そこには雑穀が売られていました。それが30歳の時です。偶然、雑穀に出会って、お米にこんな仲間があると知りました。ヒエやアワ、30年も生きてきて見たことも食べたことない。

 買って食べてみたら、びっくり美味しくて、意識が飛んで何度もお代わりして食べ続けました。「全身の細胞が喜んでる! 何んだこれは!」って思った、雑穀との衝撃的な出会いでした。

 雑穀のイメージは、大昔の人が我慢して食べた、貧しくてモソモソした栄養のない食べ物という先入観があった。それを食べて衝撃が走った。私は見たことも触ったこともほとんど聞いたこともないのに、私が持ってるこの価値観って何? これ一体何だろうと思いました。調べていくと、つい最近まで食べてた。大昔じゃないんだ! みんな喜んで食べてた、こっちの方が栄養がある。私が持っていた情報は、全くのデタラメだったっていうことが分ったのです。

 ということは、雑穀が少なくとも数千年も民族の主食、主食としして食されていた。東北の方では、昭和40年代後半まで雑穀しか食べない人もいたのです。それがわずか、30、40年くらいで日本民族の価値観が大きく入れ替わってしまった。雑穀が皆の頭からも食卓からもお米屋さんからも消えた。誰もが忘れて、絶滅危惧種ぐらいになっている状態になっていた。

 まさか、こんなことが起きたってことは。私は「全部これだ!」って思ったのです。私の頭ん中にあるものが、いつの間にかデタラメで占められていた。雑穀の本当の姿を知ってデタラメの情報と比べれば分かるじゃないですか。

 例えば、卑弥呼はいたのか、遺跡はどうだったっていう類推は出来るけど本当のところは解らない。けれど雑穀は、大昔にもあったけど今もここにある。畑でちゃんと育っていて繋いでくれた人がいた。雑穀がどういうものだったか、何故消えていったのか…。
 結局は日本人が戦後どう変わったかということなのです。

つぶつぶ料理教室 早稲田本校には大谷さんの書籍や雑穀がたくさんあります。見ているだけで楽しい気分になります。

雑穀を知ることは日本の食文化を知ること

 私は昭和27年生まれ。食事は基本的にはご飯、味噌汁、漬け物。
 田舎の祖父から届いた山のような沢庵と漬け物、それをご飯と味噌汁で食べながら育ちました。
 たまにコロッケがあったり、父親がたまに食べるトンカツなんてペラペラの薄切りをまた薄くしたようなもので、それもお父さんだけねみたいな。しばらくして、それまでなかった、チーズ、マヨネーズ、ケチャップなどが出回り、この方が栄養がいいんだと言われて食べだした、その一番最初の世代。
 心の中のどこかで、これは変だぞと思うのだけど、どうにも出来ないという感じ。でもそれが本当かどうかも分からない。
 その中で雑穀に出会った。実際に雑穀を知ることは、日本の食文化を知ることなのです。そして日本の食文化がどうやって壊れたかってことが分ったのです。
 日本の食文化の本質、庶民や皇室の方々、質素に暮らしてきた日本人の生きるための生活というのを知り、戦後の変化というものも肌身をもって知ってる。その結果、誰も健康になってない。
 私が30歳、昭和57年から60年の頃にはアトピーが出てきてたし、多くの人がガンになり始めた。食品汚染、複合汚染など様々な環境問題とか出てきて、戦後30年くらいの間に問題が山積みになって、なんかおかしいぞっていうようになっていったのです。

料理は火と水と太陽のスペクトルの結晶

 毎日食べる食事は自分の命を支える最重要なものなのに、皆が無頓着でいる。本当の食とは何か、本質的に命とは何か。命の仕組みと食べ物との関係。これは、地球と宇宙との関係です。それを「食べる」という行為に当てはめると、目の前にある雑穀から検証出来る世界だったのです、料理を通じて、過去と現在と未来の時空が繋がった。料理とは「火と水」なのです。
 この2大エネルギーを使って、太陽のスペクトルの結晶である穀物や野菜を料理する。これって天地創造ですよね! 料理をしてるとルールが分かってきました。 

 食の歴史を紐解くことによって、人間という存在がどう食べてどう生きることなど、どのような仕組みになっているのかを知ることが出来ました。現代のあらゆる問題は雑穀のイメージに象徴されるようなデタラメな洗脳情報、勘違い情報によって動かされている。それを私だけはやめようと思いました。

大谷さんの雑穀料理を食べながら博正社長との楽しい対談動画。大谷ゆみこー輝いて生きるチャンネルで配信中。ぜひご覧ください。https://www.youtube.com/@tubutubuoffice

料理は想像力を引き出すポジティブな面白さ

 少しずつデザインの仕事を減らして、この研究をどんどんしていこう。私は、元々は企画デザインの仕事をしてきたので、モノを見るといろんなアイディアが浮かびます。雑穀があまりにも社会から抹殺されて誰も知らないし、その魅力も分からない。おまけにネガティブの意識がある。これを私のデザインとマーケティング力で変えたい。スポンサーは宇宙。宇宙が生み出す食べ物と歴史を調べて探求して伝えていこうと思ったのです。

 1年かけて『未来食〜環境汚染時代をおいしく生き抜く』を出版したところ、驚くほど多く売れたのです。このデザインのチカラを活用して、雑穀に対する思い込みや先入観、呪縛、ネガティブな情報、それらを取り払い魅力的に見せる。理屈ではなく、食べたくてしょうがない我慢出来ないような雑穀料理のレシピ、日本人が食べてきた塩、味噌、醤油、漬け物、ご飯と味噌汁みたいな材料だけで、ハンバーグもナゲットもシェイクも、ピザもアイスクリームもドーナツも作り、現代のファーストフードになれた人たちでも食べたそうなものは全て雑穀で作れるということをやり始めたのです。

 高キビは挽肉みたい、ヒエは魚になる、もちアワはチーズになる、タラコやチョコレートみたいにまでなる。全部雑穀で作ることが出来るのです。今度は別の面白さですよね。宇宙と遊ぶというか地球から生み出す、太古からある食べ物だけを使って、現代人の心を動かす食べ物を作る。食べた人の舌も変わるし味覚が調律されていく。本質的な穀物を食べていくと細胞の中の変な記憶のバグが取れてまともな動きをするから、潜在的に持っていたネガティブな情報や気持ちとかが、どんどんデトックスされていくのです。

口から入る食べ物の質と口から出ていく言葉の質があなたの質になる

 雑穀をベースにした日本の本質的な食。その料理を成り立たせている生命法則。この二つをマーケティングしながら料理をどんどん開発していく。これが私の仕事なんだと、これをしにこの世界にやって来たんだっていうことに、ついに開眼したのです。

 今でこそみんな当たり前に言うけれど、食を変えたのに健康になる人とならない人がいる、それはやはり意識なのです。言葉と意識と食を同時に変えない限り、成功の可能性はゼロに近い。今の社会は、人類を恐喝して恐れた人が払った恐喝恐怖マネー循環社会なのです。それをひっくり返すには恐喝しては駄目なのです。

 だから食べたら健康になるとは一切言わない。言えば人は来るけど病院になってしまう。だから恐喝しない、脅かさない。そして、我慢という波動が入ってない。どうやってこの課題を解いていくのか。それが「未来食」なのです。

 だから自然食の仲間じゃないですよと、まずは言わなきゃいけないのです。雑穀っていうと古いイメージがつくので「つぶつぶ」。
 この宇宙全てが「つぶつぶ」で出来ているということが分かったから、もっと大きな宇宙まで。日本の古代語で「つぶ」とは素粒子のことです。口から入れる食べ物は第5チャクラを通り、口から出す言葉も第5チャクラを通る。この二つの質が人生の質になるし、自分の外界を形成していくのです。私のレシピは全部、宇宙法則を学ぶドリルだと思っています。

ヤマトナデシコCooking

 恐怖と不安のお金の流れを、幸せと希望にシフトしてくれる。女性が男性のように働くとかじゃなくて、本来ある女性性を「天心」で生きながら、家庭をちゃんと維持し守り、おしゃれをしながら成長し、子育てしながらお金が家に流れてくる! すごく理想的です。

 自宅のキッチンで始められる「つぶつぶ料理教室」 家には調理道具もあるから資本がいらないし場所代も不要。余ったものは食べれる。赤ちゃんがいても子供がいても勤めに行くのではないから問題はありません。
 料理教室だから先生ですよ。多くの人が家にやってきてお母さんを敬ってくれるのです。
 この姿を見て育つ子供はどう感じるでしょう。お母さんかっこいい! 子供は手伝うし、料理も覚える。夫も手伝いだして、何か家にお金が流れてくる! 自慢の家を建てても、ほとんどの人は日々忙しいしお互い距離もあるから遊びに来ないじゃないですか。でも料理教室をすれば、お金を持ってやって来るのです。

 つぶつぶ料理コーチを、1万人を目標として増やしていきたい。今、130箇所あります。1人のつぶつぶ料理コーチが10人のコーチを育ててくれる。この流れを大きくして2030年に1万教室にするって宇宙に宣言しているので実現すると確信しています。つまり、1万人の自由なお母さんが生まれ、周囲にそのような人が常に200人ぐらいいれば100万人です。中学校の学区に1つある感じです。1万という数、日本人にとって万は全てという意味でもあるので、日本中を覆い尽くすようなイメージです。

 今の作られた嘘の男女平等とか嘘の女性らしさ。そのため日本の女性って女性であることにすごく否定的です。女性らしく振る舞うことも嫌だとか、逆に変な女性性を発揮する、そのどちらかになってしまう。

 本当の女性性に目覚めるための『天女セミナー』を開催しています。その大枠として言葉、日本人にしか分からない48音の創造物理を原点文字と共に学ぶ、どんな子供でもこの世界の仕組みが2日間で解かる『和語レッスン』

 和語は、少なくとも8000年か1万年前ぐらいに宇宙存在から受け取ったのか一緒に作り上げたのかは分かりませんが、おそらくはその頃のものです。それに気づく日本人をどれだけつくるか、今の私のテーマです。

 全てのものに身体にも役割分担がありますよね。心臓、腎臓、肝臓とでは役割が違うように、地球上にいる民族も様々な役割を持っている。日本民族というのは、免疫細胞、免疫器官的な役割をしてるんじゃないかなと思っています。

 昔から日本人が世界に出ていって世界を大きく変えてきました。
 ということは、和語、この本質にどれだけの日本人が目覚めるかだと思います。
 食のバイブレーションと言葉のバイブレーション、この両方が一緒に覚醒することにより、岩戸開きのように日本が開くのだと真剣に思っています。


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大谷ゆみこ(おおたに ゆみこ)*未来食創始者 暮らしの冒険家 食と心のデザイナー
(株)フウ未来生活研究所CEO、日本ベジタリアン学会理事、日本ベジタリアン学会認定(最高位資格)マイスター
1982年より食といのちの実践研究を開始し、1995年に出版した著書『未来食―環境汚染時代をおいしく⽣き抜く 』で「食といのちのバランスシート」を公表、和食の原点に根ざした雑穀が主役の砂糖を使わない新しいベジタリアン食スタイル「未来食」のセミナーを運営し「ヤマトナデシコCooking」が学べる次世代料理教室「つぶつぶ料理教室」を全国展開している。現在130教室が活動中、続々オープ予定。
創作したレシピは3000を超える。https://www.tubutubu-seminar.jp

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