『HADO LIFE』2025年秋号
一般社団法人バクチャー普及研究協議会理事
es株式会社 地球防衛群、神主
瀬戸山裕一

 

全ては出会うように計画されていた

 私の人生は、父と母の影響が大きいと感じています。
 父は毎日楽しそうにしていた印象でしたが、実は父の仕事内容については家族も良く知りませんでした。当時の暮らしはというと、築40年、家賃1万円で家族4人が住んでいました。父は毎日「人に喜んでもらったらそれで嬉しい。1日一杯の焼酎と缶チューハイが飲めれば幸せ」だと語り、いつも笑顔が素敵な父でした。何の仕事かが分かったのは、父が他界して葬儀の会場に世界中から弔電が届いた時のことです。父は世界的に通用する発明や設計を数多くして、世のため人のために人生を全うした人だったのです。

 この話を聞いて、最初は信じられませんでしたが、お葬式の時に「お父さんには本当にお世話になりました」と数多くの言葉をいただいた時に、父の偉大さを実感しました。私といえば恥ずかしながら、昔は有名になりたい、目立ちたいなどと思ってばかりいました。 父は私とは逆で、そういうことが一切無く、世の中が良くなったらいいという考えで自分を表に出さなかった人なのです。
 父から一度も叱られたことはなく、ずっとニコニコして「好きなことをしなさい」と言い続けてくれましたし、それが遺言でもありました。

 父の死をきっかけに、私は自分の人生を見直しました。
 母は今75歳ですが、老人ホームで現役で働いています。そのホームからは、生涯雇用で働いて欲しい、只々ずっといて欲しいと言われています。存在だけ、居てくれるだけで皆が笑顔で幸せになる存在。それが母です。
 世のため人のために人生を全うした父と、存在だけで周りを笑顔にする母の生き方が、僕の人生の指針となっています。

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